本 の 紹 介      

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竿春「魂の火入れ」(H20.02.28)


趣味で竿を作っているが、何がなんだか分からず、適当に
作っているが、どの工程も難しい。特にと言うか、できたか
できなかったかわかりにくいのが火入れで悩むところだ。

著者:山根一郎 鰍ツり人社発行

この本をよんで少しでもノウハウをと思ったが甘かった。
これでできては、竿春親分に申し訳ない。

竿春の和竿人生は紀州で修行し江戸で開花させた人物としては珍しい経歴の持ち主である
ことは誰もが知るところだ。

 私も素人の竿作りをするので、タイトルの魂の火入れとはなにか、ヒントになるような
気がして読み出した。

 第1章から7章の構成だが、生い立ち、経過については、一流の竿師の本に出てくる人
物の名は惜しげもなくでてくる
この経歴の中で、考え方、取り組み方の違いが紀州でなく
江戸だからよかったことがある。
 それは、和竿の将来をいつも考えていたことだ。紀州の師弟
関係と作り方の伝統に固執
すれば、和竿の将来はないと竿
春は考えて常に時代を意識したことが、江戸へでて大成し
ことにつながるのではないだろうか。
合成竿の開発で非難されても作りあげたこともその一つで
あろう。
 火入れと言っても40年経ってもなおわからないと弟子は言うそれほど火入れは難しい
もの。

  竿春は火入れするときは神経を研ぎ澄まし一切の人を寄せ付けず、真剣勝負だと言い
「タイトルに相応しい」。

 最後に竿春は師匠の源竿師の竿修理は弟子の自分が責任持って直させてもらうのは使命
だと言う。師弟関係の絆は脈
々と生きているのを感じながら読んだ。


竹、節ありて強し感想と紹介(H20.02.05)


小学館出版江戸和竿総本家「東作」六代目松本三郎氏
からの聞き書き (かくまつとむ)
208ページの4部構成でかかれています。

第1章 江戸和竿職人の生活
本家東作誕生から倒産を経て現在6代目に至る経過が聞き伝えも含めかかれているその中には各界を
代表する大物の名は言うまでもなく登場するが、私は自分で竿を作ることからなるほどと感銘を受けたく
だりは第1章のくだりに「和竿にはカーボンにないよさがある」「味」これですね。

第2章 竹という素材
素材について書かれて色々特徴を交えて解説されており、納得できるところもある。
江戸での一番代表的な竹は布袋竹で大切で、かなり細かく解説されているこちからもその重要度が
伝わってくる。

第3章 竿を作る
この項を期待して読んだ。切り組から道具、矯め、塗りまでおおまかな記述しかなく、途中で読みたく
なくなった。もう少し、具体的にプロでも難しいところや、現代風釣り方があるのかないのかなんて
期待したが、残念な章だった。

第4章 江戸の竿
ここは古い江戸の反映したころの竿でだれもが、聞いたことがある、名品の紹介にすぎず、趣味の
和竿とはかけ離れた章で、ただの過去の記述にすぎないように思えた。
今では作る人も、材料も手に入らないものが多いのではないでしょうか。

全体を通して感じたことは、自分が趣味の和竿作りの極意のひとつでもと思い読んだので、期待とは
少し違ったが、昔から現代までの東作の歴史や竿の歴史についての知識にはなりますね。

破天荒釣師の感想と紹介(H17.02.10)

 




 破天荒釣り師

 小学館発行:著者滝一(たきはじめ)




仲間が探していた本を入手したので横から拝借し読ませていただいた。
破天荒の題なので、相当な入れ込みのへら師は想像した。
その名は「近藤市太郎」その人の記録集である。
全体が3部構成になっていて話は神奈川県の巨べらで有名な相模湖での話になる。
この湖は人造湖であり、完成までには歴史的な関わりやゲンゴロウブナの放流についての話も合わせて
紹介されている。
第1章では波乱に満ちた人生とへら鮒釣りへ引き込まれた経緯が紹介されており、私達の悩みも少なから
ず共鳴できることが多々ある。
なかでも、名人・達人と言われる人に共通する釣師の真髄たる打ち込み方は世界共通であることが、釣魚
大全や日本のへら師で有名な山村聡さんの釣り1人も比較登場したことが、このページでも紹介した本な
ので、随所になるほど、なるほどとうなずきながら釣りの達人は同じようなことを考えていると感心しながら
読んだ。
1つ紹介したいのは、釣る場所を徹底的に研究しへらとの関わりを調べつくす努力はすごいものがある。
現代のへら師では、とてもそこまでの知識を吸収してへら釣りをしている人は皆無であろう。
第2章は巨べらを追い求めた長い年月の日々の思い出と大物をしとめるまでの様子を昨日の事のように、
紹介されており、楽しい話、古しい話、怖い話色々体験された様子も相模湖に魅せられた人だから重みが
ある。
どこにも常連さんはいるが、普通の釣り人は暇つぶし的へら釣りでがほとんどで、近藤さんのように、徹底
的に研究し、そのポイントの状況を海図のごとく調査して、最後には魚の道を見極めた人である。
昭和55年に運命の尺7寸(52センチ)との出会い魚拓200枚への挑戦が始まったと紹介されていた。
最近では魚拓はほとんど撮らず写真で即リリースが常識なので、貴重な資料になるだろう。
昭和25年に初めてゲンゴロウが放流されて52センチまでに成長するには30年近い年月がかかるのもわ
かる気がするが、そこまで生き抜く力があると思うとすばらしい環境だからこそであろう。
私達の近くの池では無理だと納得するしかないのです。
私もここ数年犬山市の入鹿池へ大物を求めて、通っているが、去年やっと42、43を手にしたが、未だ尺5
寸が超えれない。
4月ののっこみ時期になると、遠くから毎年来られるが、なかなか上らない。
毎年49から52ぐらいまでのものが、1,2枚はあがるのは聞くが、ビギナーにはその場に居合わせること
ができないもんです。
今年は4月20日前後と予想しておることが、自分の唯一の情報ぐらいで、近藤さんのような1年間を通した
湖の状態を把握し結果を出した釣りだから達人と言われのでしょう。
この章の中で分かるようなわからないような事が気になった。
それは、近藤さんは魚の道を察し、先手を打って移動し釣る。と言うことだ普段我々は一度座を構えると、魚
が来るのをジッと待つ釣りが殆どで移動は考えない。ここが発想と、知識の違いからくるもんだろうと感心し
た。
最後の第3章はこの相模湖の大物会のメンバーの記録と釣行記であるが登場する人物は相当の「もさ」ばか
りだとよくわかる。
市太郎さんの200枚への拘りと執念も最後に再度紹介されており、達人の証拠として、釣魚大全のアイザッ
クウイルトンとの融合も素直に理解でき、なるほど魚釣りの道も人生の道と言う哲学であるような記録集であ
った。
是非、自分もへら師の仲間なら一度は足を運んでみたいものです。
とっても、読みやすく親しみのある本です。是非皆さんもお読みください。


釣魚大全のあらましと感想(H16.11.21)

何か得体の知れない本を知人から受け取った。
全部読んでから感想を書くことは、時間も記憶もままならないので、読みながら感想を書くととにした。
タイトルは釣りのようだが、始まりを読むと聖書のようでイギリスの古い話で難しそうな印象の中身から始まった。
第1部:時代は日本の江戸時代(1650年ごろ)のこと。イギリスのアイザック・ウオルトンの著である。
第2部はチャールズ・コットンの著であり2部構成になっている。
第1部は3人が登場した「猟師・漁師・鷹匠」が旅の道連れで話始めた出足である。
それぞれの人が自分のリクレーションに対する考え方を話す。
鷹匠は空気:猟師は大地:漁師は水について、一番重要な要素だと話ます。
途中からは猟師と漁師の2人旅で猟師がカワウソ狩、漁師がウグイ釣りを行い互いに見学し合旅をします。
その中で、猟師はカワウソは腹一杯になってもまだ魚を殺すと言い。
とんでもない動物で肉を食べず皮をはいでしますそうだ。
一方漁師はウグイは一番下品な魚と言う一般的な知識を覆し、猟師は感動を受け弟子に入門する。
ここから釣りに関する指南が始まる。
これは釣りの魔力なんでしょうかね。
いよいよ60ページが過ぎ、本番に入ってきたかな。
漁師が鱒の話を延々と話ますが、特徴や鮭との違いについてはなるほとと思うところもあったが、釣りの楽しみの一つにその地域での人との出会いがあり、この2人も乳搾りの親子との会話が和やかで情緒があり、釣り紀行としてはこうありたいと感じました。
猟師に鱒釣りに関するノウハウを伝授するのですが、餌、ワーム、疑似餌についても事細かく多角的観察を踏まえ伝授していく様はまさに熟練した釣り師の指導ぶりが伺える。
もう2人は完全に釣りの世界にのめり込んできた。
自分の知識を100%伝授する気迫が文章からとびだしそうだ。
実践にはいり、漁師は次々に釣り上げるが猟師はさっぱり釣れない。
道具が悪い、場所が悪いと言うと竿を取り替えても同じ、猟師はさっぱり釣れません。
そこで釣りは芸術と言うのです。楽器は能書きだけでは鳴りませんし、絵も能書きでは書けません。
釣りも同じで、聞いただけでは釣れません。場所を観察し、そこへ的確にいれてこそ釣れるのです。ここに経験が必要になる訳でまさに「芸術」と言うのです。
これは、へらも同じで、よく能書きの延々と語る人がいるが、よく釣るとは限らない。
その人が釣れないと、言い訳で今日は食いが悪いとか、魚が見えないのにいないとか言い訳をする人の姿が脳裏をかすめた。
鮭の話も稚魚から成長する様を延々と続きます、なんたって芸術の釣りですから、具体的で細かく伝授するのです。、
すごい観察力には頭がさがり、自分のへらの知識の薄さが情けなくなりはじめました。
へらぶな釣りの伝授が書かれているが、この時代のへらぶなとは疑問が残るが、訳としてへらぶなと訳したのか不思議な感覚だ。
第2部も更に指南がつづくがどれも、奥深い指導ぶりだが覚えきれない深さだ。
特にフライを楽しむ人には読むと知識が十分過ぎるぐらいの内容だ。
私は、ロッドの話が気になった。
ラオスの竹(ラオ竹)で節間が1メートルの竹があるらしい。
誰か、ラオスへ行って取ってきてほしいものだ。
昔日本ではキセルの得にしたそうだ。
今はどうだろう?。
釣りへの指南がこれほどになると、もう次元の違う人だ。
この本は疲れた、時代も時代だが登場する歴史的人物、魚の起源や環境とその他へのかかわりがこと細かく、指南する様子が読んでいて疲れた。
ここまで理解して魚釣りはするものか、もう仙人の域であろう。
われわれのへら師と呼べないくらい恥ずかしい気持ちになった。

 竿かづの



  趣味の和竿つくり


 ◆本の紹介◆   2003.9.2
 
  この本は昭和61年初版版で今年第6版になるそうです。
  それだけノウハウを必要としている根強いビギナーが多く、和竿作りの教本であることの証でしょう。
   この本との出会いは、以前一度手にしたことがあったが、その時自分が竿を作るなぞとは思いもし
  なかった。
   工作好きもあって、これまで知人から頂いた竹で5組ほど作ってはみたが、真ともなものは出来る
  訳もなく、作っては腹を立てていたところに、この本の再発刊を知り、即購入した訳であります。
   自分の目標とする「へら鮒釣り」は優雅でノンビリした釣りを目指しているところであり、竹竿があれ
  ば一歩近づくことができるかもしれません。
   日ごろ竹竿は、高価で管理が面倒なイメージがあり敬遠していました。
   それが、自分で作る事が出来れば是非竹竿で楽しみたいところです。
   昨年、竹採りに同行させていただき、すっかり竹の魅力に取り付かれ、それ以来竿掛け、タモの柄
  を数本製作しましたが、なかなか上手くはいきません。
   この本を読んでは作り、作っては読みかえすということが続いております。
   作るといっても、道具が重要なポイントになり、この本を参考にし、必要なものから順次作りながら
  楽しんでいます。
   この本は、著者が長年に渡って習得したノウハウをイラスト入りで詳しく解説されており、竿を作ろ
  うと思っている人は一度読む価値は十二分にあり、お勧めできる1冊です。
   私も来年までには1本作りあげたいところで、暇を見つけては、現在練習しているところです。
   皆さんも、是非チャレンジしてみてはいかがですか。
   最後に竿作りについて「BBS」へ気楽に参加していただき、仲間の輪を広げようではありません
  か。是非、遊びにきてください。


  大崎紀夫



 野ベラ追走記を
 読み終えて 


今日は2002.6.10日である。
 雨模様で、釣りも気が乗らない日であり、図書館で借りた本を手にした。
 タイトルの野ベラと言う字に目がとまり、自分も丁度どこか新しい野池へ行って見
 たい所でもあったので読む気になった。

  紀行文の中には
  ・地域状況
  ・釣り場紹介
  ・釣果
  ・エピソード
 などの状況が細かく書かれており、全国の旅する状況が目に浮かぶ。
 読みはじめると、大変失礼とは思うが紀行文はどれも同じだなあと感じつつ読ん
 でいった。

 どのページも同じような書き方なのになぜか嫌味がなく200ページ程過ぎた、こ
 の紀行の中にはポイントが
あった。
 第一に思い出
 第二に食事
 第三に釣果
 である。
 場所、場所で食事が豪華であったり、粗末であったりするが、味付けにビールと
 ワインが登場する。

 釣りとビールは合う様な気がするが、ワインはなかなか一味違っているような気
 がした。

 ワインが度々登場するがこのワインに更に雰囲気を作る、K嬢が登場する。
 このK嬢が釣り、食事を盛り上げており、読者には、次の池でK嬢は釣れるのか。
 又、何を食べるのか想像させる場面もある。

 釣りの話より、K嬢の釣果も気にしながら、旅し、釣れても、釣れなくても、楽しそ
 うである。

 この本の良さはもう一つ 専門的な表現や、道具への拘り、テクニックなどに溺れ
 ることのない文章が読みやすくしており、読書など通常殆どしない
自分でも、気
 楽に読めた。

 さらに私と釣りの目標が合うような気がした。
 @床釣り好きである。
 A長竿が好きである。
 B釣果に拘らない。
 C大物に気がある。
 文章の中から勝手に想像すると私と同様であり、のんびり釣りを楽しみたいもの
 です。
 全国の釣り場めぐりなどは、我々サンディーへら師には夢でないでしょうか。

 自分は出来ないが、少しでも、いろいろな所の野べらに合いたいものです。
 次版の新たな釣り場の紹介に期待するところであります。 


 山村聰の    釣りひとり





    二見書房:49年度初版を手にして・・・・・・・・へら正

 平成14年の1月に至って初めてこの本を友人から読んでみたらと紹介され目
 を
通すことになった。
 私も釣りが好きで、ページが進むにつれて自分の生い立ちと合わせ文章に引
 き込まれてついつい枚数を多く
めくっていった。
 読めば読むほど、自分との違いに感心するばかりで、文例をあげるなら、聰さ
 んは、水郷の恵
まれた釣りのメッカで自然に釣りと一体になった生活風景が印
 象的であるが。
 それに比較し、自分の幼少期の生活ときたら名もない小川で、ま鮒やエビ、ドジ
 ョウなど小魚を取って遊んだ日々
を思い出しダブらしてみた。
 まして、聰さんの様に船での釣りなど私の頭の中には風景がなかった。
  そんな平凡な田舎の子供で、竿1本かついで釣りに行った。

 また、へら鮒などと言う名前は聞いたこともイメージも無かった。
 このような違いの生活でも、魚を釣る楽しみについては、共通するものを感じ
 ながら文章を進めた。

 登場する人物がまたいい。
 私の周りには、誰1人名を派す人物や釣り名人はいないので、理屈、理論、
 道具、場所、そんなものは関係が
無い状態の釣りといえないくらいの釣りを
 楽しんだものだが、聰さんの身近にはすばらしい名人やその道のベテランと
 の
出会いがこと細かく、綴られ、その人の物の考え方、釣り道たるものを自
 然と身につけられたのだろうと感動しつつ読んだ。

 私も、へらを始めて数年しかならないが、聞いたことのある名前も聰さんの身
 近な人として登場することが、
生まれの違いか、育ちの違いなのか雲の上の
 人に思えてきて、「釣りひとり」のタイトルが何なのかわからないような気がした。

 釣りはもともと、自分と魚のやりとりを楽しむ娯楽であるが、こと「へら鮒」釣り
 はへらで始まりへらで終わると言われるごとくその釣りの技法など、奥深い話
 を通じた人と人との結び付きで深度をより深くし、ついには、人生の
釣りとなる
 のではなしでしょうか。
 是非、そのような釣り人生にしたいものだと、あらためて思い起こさせる随筆で
 あった。

 特に、最後には「竿」について力が入っていたようだ。
 私は貧乏釣りが身上なので、有名・高価とは無縁な竿しか持っておらず、話の
 仲間に入ることは失礼な
程である。
 釣りの次元の違いが本全体を通じて強く感じたが、竿の技術の話が刻々と記
 されているが、私にはほとんど
理解できないが、聰さんの竿への思いが感じら
 れるページで楽しく読めた。

 映画での聰さんはほんの少し記憶にある、あの人が釣りの一流人であったこと
 がこの本を通じて理解できた1冊であり、へら鮒釣りをそんな短時間で語ったり
 しては申し訳ない気がするし、もっと勉強しなくてはいけない。

 と提案しているように感じる本であった。
 また、来週から休日には一生懸命釣りをやろうと意を硬くした。
 皆様も、機会がありましたら是非読まれると、あたらしい発見があると思います。

 以上思い付くままに。

  ・・・・・・・・・ へら正の勝手な感想でした。・・・・・・・

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